種村季弘『水の迷宮』
「水」に関するテマティックな批評から(ちくま文庫/集成の)個々の作品論、そして、エッセイ、講演、対談まで、網羅的な編集で、鏡花再入門といったおもむきに読めるのがありがたい。先ずは、(水滸伝みたいな世界だという)「風流線」が読みたくなる。また、造本の美しさも。

ーほとんど、単調と言いたいほど、鏡花は一つのモティーフに固執しつづけている。山野なら川沿いに、海辺なら海まで、都会なら川に近い下町を散策しているうちに、一つの地形の微細な描写のなかからその集計ででもあるかのように、しかもかならず水のほとりに、一人の女が現れて主人公を慰撫してくれる

阿部大樹×柴田元幸「悪童と親友―ハックルベリー・フィンと精神科医サリヴァン」@本屋 B&B
配信で視聴。
アメリカ文学における子どもの成長についてという話から、Grow up という概念、ランダムハウスの俗語辞典が途中で止まっているなど翻訳にまつわるさまざまな刺激的な話。
なかでも、精神科医、翻訳のアマチュアとしては、本当はつらいと思っているけど、口では大丈夫だと言っている人の話を、どう解釈して言語化するのかといったことを考えていきたいという阿部氏の話が深く印象に残る。

西崎憲編『kaze no tanbun特別でない一日』
「移動図書館の子供たち」の前に再読。
日壇公園/柴崎友香の奇妙なリアリティ、
リモナイア/勝山海百合の奇想、
お迎え/日和聡子のノスタルジー、
北京の夏の離宮の春/谷崎由衣の余韻などさまざまなテイストの作品が読め、レイアウト、造本も含めた本としての魅力も。

ー特別ではない一日。というならこの春先パリ北駅で七時間行列した日のことかもしれない、個人的には。(中略)もともと雑文書きなので、長く書くことに生来向いていないのだ。ということはずっと以前からひとにも言っていて、たから短編ではなく短文、という意識はつねにあった。
山尾悠子 短文性についてII

キアロスタミ/友だちのうちはどこ?
Blu-rayで久しぶりに。
友だちにノートを返す/宿題をしなさい、と母親と何度も繰り返される台詞と律儀な切り返し、もしくは横移動で捉える二人のショットから、戸を開けて.(そこで始めた音楽が流れ)あのジグザグ道を走っていく場面(それは中盤で祖父との間にも起こる)は、何度見ても胸躍る。

ジャスミン・ウォード『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』
祖父母に育てられる13歳のジョジョ、母レオニ、(展開とともに誰だかがわかってくる)リッチーの一人称による語り。人種、貧困、暴力、死さらには祖父の過去に関する出来事が浮かび上がる。その過去と現在が重なる時、残る透明な悲しみ。

ー「それはね。あたしたちがみんなまっすぐに歩くわけではないからよ。すべては同時に起こっているの。すべてがね。あたしたちはみんな同時にここにいるの。あたしの親も、そのまた親も」母さんが壁を向いて目を閉じる。

A・バージェス『エンダビー氏の内側』
シニカルで、一筋縄では行かない多様な作品と、イーヴリン・ウォーと並ぶイギリス的な作家。放逸な詩人エンダビー氏が結婚、施設への入院で、反抗しつつも次第に矯正されていく、「カッコー巣の上で」などを思わせる、いかにもカウンター的/60年代的な作品。

丸谷才一編『ロンドンで本を読む』の再読で読みたくなったバージェス。紆余曲折のある文章の魅力。続編の「外なるエンダビー氏」も読みたいのだが、(1982年は出版の)解説では翻訳の刊行予告もされていが、訳者の出淵博氏は亡くなられており、難しいかもしれない。

ー「奇妙な一年だったな」とエンダビーは思い返していた。潜在的な死をポケットにしのばせ、浮き立つような温かいビールのほてりの残る、キャンディのようにふわふわした感じの遊歩道を、ボガードロードのほうに逸れながら。奇妙に虚しい一年、あるいは一年に近い月日。

緊急事態宣言の対応の諸々に追われた一週間がやっと終わる、そんな週末に、
小村雪岱による装丁が美しい泉鏡花論集、種村季弘/水の迷宮、
昨年、日本翻訳大賞を受賞した阿部大樹/翻訳目録、
クラシスブックからの投光Vol.1/特集 映画と映画館を入手。

青木耕平補完「アメリカ文学ポップコーン大盛」
M・トウェインとR・クーヴァー、プレスリーを巡る小説、F・E・エリスの言説と作品、グラフィック・ノベルといったアメリカ文学に関すること、その背景、さらには翻訳について、幅広く未訳、既訳の作家、作品の紹介/批評は面白く読みたい本ばかり。
まずは、2010年代最高の小説10冊に選ばれたというジャスミン・ウォード「歌え、葬られぬ者たちよ、歌え」を読んでみたい。
かつて世界×現在×文学 作家ファイルで多くの作家/作品/翻訳家を知ったように、これからのレファレンスとなるような一冊。

ー2018年は、プレスリーをめぐる二つの傑作小説が出た年でもあった(もちろんその背後には、スティーブ・えりくそんの忘れがたき傑作「シャドウバーン』がある)、そして、その2作はいずれもフィクションといあぶきをくしし、偉大なミュージシャンを描くという次元をはるかに超えた広がりを持っている。

山中貞雄/百万両の壺
正月休みの最後、DVDで。
大名とその弟の道場主らによる軽妙な壺の争奪戦。竹馬を買わないシーンの次に竹馬を練習しているシーンが来るなどの物語の省略の巧みさとそれによる諧謔を生む効果やカメラの横移動が印象的。そうしたエピソードを重ねながらのあっけらかんとした陽気な収束のさせ方が楽しい。

元旦は、例年通り、モノポリー、ブリッジとゲーム三昧をして過ごす。
堀込高樹/Home Ground 、そしてキリンジ/KIRINJIを、音楽はじめに、その間、ずっと聴いて。
本は、新訳のバルト/テクストの楽しみを。
youtu.be/0-OuvatePIQ

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

(本当に)いろいろなことがあった今年、なんとか仕事を納める。きりよく通勤時に読んでいた、『パイド・パイパー 自由への越境』も読了。

ネビル・シュート『パイド・パイパー』
先日の読んだ「渚にて」がよかったので。
70歳のイギリス人弁護士がフランスの田舎から、(次第に増える)子どもを(余儀なく)連れてイギリスへ帰ろうとするストーリーは、そもそもなぜフランスにいたのかのサブストーリーと絡め読ませ、最後はしんみりと。

イーヴリン・ウォーの伝記に、同級生は皆、ネビル・シュートを読んでいたという記述に、当時の人気を伺わせるし、この作品での戦時下でのイギリスでの生活の描写は、ピンチョンの「重力の虹」を思い出させるところがあり、そこも興味深かった。つぎは、イギリズつながりで、バージェス/エンダビー氏の内側を。

年末恒例の荻窪/本むら庵で友人たちと鴨せいろと。本当に久しぶりに。
その後、今年最後の中央線の本屋を、正月休みに読む本を探して。
軽妙な都筑道夫/紙の罠、悪意銀行、吸血鬼飼育法、
気になっていたエイモア・トールズ/賢者たちの街、
出たばかりの移動図書館の子供たちを入手。

『燃ゆる女の肖像』
鳥の鳴き声、風の、海の、暖炉のなかで薪の爆ぜる音の生々しさが印象的。そんななか音楽が使われるのは、ヴィヴァルディを弾くのと祭での女たちの合唱のシーンのみ。それを展開点として、表情が、関係、状況が変わっていく。特に後者での掴んだ手から場面が反転する所は秀逸。
そして、二度目の(目配せのような)本の28ページ、ヴィヴァルディ、オルフェウスの神話と連なるシークエンスは圧倒され、そこから受ける嫋々とした余韻が。

平出隆 最終講義=展 Air Language Program@多摩美術大学
最終日の前日になんとか滑り込み、
六つに区分けをされた一階のフロアーのなか、装幀、著作、詩、郵便などの作品、映像、そして六台のプリンターのまさに生成しつつある作品を表す展示など。長きに渡りそれらに触れてきた(猫の家で、葉書でドナルド・エヴァンスに、白球礼賛、鳥を探しになど)ことを改めて感謝の念とともに思う。充実した図録も読むのが楽しみ。

初めて行く多摩美。山の中腹にあるなだらかな坂道を息を切らしながら冬の青空に向かって登る。学期を終えた深閑としたキャンバスの雰囲気が妙に懐かしい。

瀬川昌久×蓮實重彦『アメリカから遠く離れて』
パーカーのライブを見た/ヌーヴェル・ヴァーグ下のフランスに滞在した二人の対談は、瀬川昌久の生い立ちに沿って進む。そこでは、アメリカ文化の影響を受けた戦前の成熟した文化と戦争へ向かう状況、翻っては同時代的な検証までがユーモアを交えながら語られる。

ー表面的には反西欧的な姿勢をとっているかに見える監督のマキノ正博は、その細部においては、ハリウッド映画にオマージュを捧げていることになります。見る人が見れば、ああ、グリフィスだ、ああバークレイ的なミュージカル・シーンだと識別できるようになっているからです。それは、戦時下でありながら、日本にもある種の文化的な高度化が達成されていたことを

ルドン、ロートレック展@三菱一号館美術館
謳っているほど二人がメインではなく、周辺の画家のここでは分類されている展示の方が印象に残る。何より久しぶりに絵を見た/浴びたという感慨。
シスレー/ルーヴシエンヌの一隅のあわさ、モネ/草原の夕暮れのおぼろ、前景の葉のくっきりとした鮮やかさ、ピサロ/窓から見たエラニーの通り、ナナカマドの木の細やかで繊細な色使い、ルドン/ダブル・プロフィルの悪魔的な黒さと対照的な青い花瓶の花々のあふれんばかりの色彩、ロートレックの大きさと余白の白の効果、アンリ・ル・シダネル/月下の川沿いの家の夢幻、その他もいくつかのボナール、ヴァロットンなどなど。

丸谷才一編著『ロンドンで本を読む』
再読。イギリスの書評の紹介だが、例えばロッジの書いたグンデラの書評を富士川義之が訳すという贅沢なことをしており、丸谷才一の的確な解説も面白い。何よりも長短はあるが、いずれも物語の紹介、作品の位置付け、批評的な観点など手際よくまとめてあることに感心。

ーエイミスの『大転落』の書評は名作の名評である。すごい。第一に、冒頭から、この本を読まうといふ気にさせる。これが圧倒的な美点である。書評は読者を本屋まで走らせなければならない。(中略)しかしわれわれの国では、いい本だと思いながら勿体ぶった口調で遠慮かちにしか言わない書評が多すぎる

イード『イーヴリン・ウォー伝人生再訪」
冒頭4ページに渡る家系図に驚くが、その末裔として1903年に文芸評論家の息子とした生まれ、(ブライズヘッド再訪の背景ともなる)パブリック・スクールからオックスフォードへと、社交と(ロマンチックな関係も含めた)友情という狭い世界で小説を書き、世に出る。
二度の世界大戦を経て絶滅をすることになる(それは、吉田健一が繰り返し指摘しているが)イギリスのブルジョア階級について、詳細に記述しているところがとにかく面白く興味深い。ウォーの小説の世界の説明としてこれ以上のものはないのでは、とも思う。

ー華麗で明晰極まりない文章を書いたウォーを頁の上で理解し愉しむのはごく容易だが、彼の性格の特異さは、空想や喜劇的効果、悪戯っぽい擬態を好む性癖ゆえに見抜くのが難しい場合がある。奇矯で、時には人を怖がらせる態度は、日常生活の退屈さと絶望感に対する防御を狙ったものである場合が多かった。

分離派建築会100年展@パナソニック汐留美術館
1920年に旗揚げされた建築運動100周年の展示。「分離派」とは、「過去建築圏からの分離」の意だ、彫刻へ、白樺派へ、モダニズムへと、またその間の関東大震災、ワイマール共和国の影響もあり、その向かう形式が様々なところが興味深い。

手書きの図面、建築模型で見る東京朝日新聞社社屋、永代橋、清洲橋、白木屋百貨店など美しさ。

小林信彦の文章や蓮實重彦と瀬川昌久の対談からもこの頃の文化的な成熟はうかがえる。
ー戦前のこういうデザインというのはじつにしゃれているんですよ。やっぱり大正時代は非常にに文化が洗練されたのね。

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