廣野由美子/批評理論入門、小説読解入門
小説の技法、読解のためのアイテムなどについて、「フランケンシュタイン」、「ミドルマーチ」を例にとっての具体的な記述はわかりやすく、また、普段、無意識に読んでいる部分が言語化されるという発見もある。なかでも、前書の、「脱構築批評」、「精神分析批評」など様々な理論で読み解く実践は無類に面白い。
類書の「嵐が丘」を六つの批評理論で読み解く、川口喬一「小説の解釈戦略」を思い出し、思わず引っ張り出してきてしまう。
ー『フランケンシュタイン』の初版が出てから、もう二〇〇年近くたつ。しかし、ほんの三〇年ほど前までは.批評の焦点は、もっぱら作者メアリー・シェリーに置かれる傾向にあった。(中略)しかし一九七〇年代以降、文芸批評の動向の変化に伴って「フランケンシュタイン』に関する学術的アプローチが盛んになり始めた。

昨日のワクチン接種で上がらなくなった腕と怠さがおさまった夕方から外出して、
2年前の武蔵美での(売り切れていた)スタシス・エイドリゲヴィチウス展の図録をやっと、
(不良少年の映画史がよく期待の)筒井康隆/活劇映画と家族、
岡本仁/好物歳時期、グリフィス/見知らぬ人、柳沢健/1974年のクリスマス、
そして、リマスターで再発された(ブックレットも充実の)フアナ・モリーナ/Segundoを入手。
youtu.be/IouDhl1FtVM

ピンチョン『ブリーディング・エッジ』
過去と現在を行き来しながらの物語/人物の背景を浮き彫りにする生き生きとした語り口。ユーモラスなディテールが物語の推進力となり、マキシーンがマンハッタンを駆け巡り、お馴染みのピンチョン的なパラノイヤな出来事が、人物が加速度的な増えるのを読む楽しみ。
9.11前後の日誌的な記述の迫力と徐々に収束していく物語によりに、すっかり愛着を覚える様になった人物に対する惜別の念と、ピンチョン掉尾(いまのところは)の作品を読み終わりつつあるこという感慨に、ペースを落とし、ゆっくりと味わうようにして、ついに読み終えてしまった、という読後感。

ー青春の放蕩は必ずしも無害だったわけではなく、マキシーンの十代の友達の中には、それ自体がクラブのトイレのようだった八〇年代に入ったまま出てこれなくなったのもいるし、出てこられた者のうちにも、あの時代を懐かしく思い出すにはヒップすぎる(またはヒップさが足りない)大人になった者もいる。

この週末オープンした古本屋、三日月書店へ。
ある種伝説的な店主のいた矢川書店があった場所、久しぶりの再訪が懐かしい。由良君美、チャトウィン、内田百閒を購入。いただいた目録の巻末に、都丸書店についての文章が掲載されており、それをしみじみと読む。

ダニエル・シュミット/ヘカテ
パーティのなか延々横移動するカメラがベルナール・ジロドーを捉える。そしてシャンパンの泡から過去への回想となる、冒頭から、すっかり魅入られてしまう。ジャズの音、光と影、次第に高まる狂気と曖昧になる虚実。その照明を、美術を、カメラを、台詞をただただ堪能。

伊藤典夫編訳『海の鎖』
ディックを思わせるところもあるナース/擬態、リリカルで構成の面白いボール/海の鎖など、60〜80年台の作品だが、どこか初めてSFを読み始めた頃の感情を再体験しているような懐かしい読み心地。次は、二分冊1200ページにもなるという『伊藤典夫評論集成』。とにかく楽しみ。

ーある日、こんなこともいつの日かあろうという世人のことば通り、異邦の宇宙船が着陸した、船はあっけらかんとした青空から、澄みきった冷たい十一月のひなたに降ってきた。数は四つ。その週ずっと、降りそうで降らなかった雪に代わって舞い降りてきた四隻の異邦の宇宙船。

梅雨があけた週末に、
柴田元幸訳、マシュー・シャープ/戦時の愛、
伴名連編/日本SFの臨界点 新城カズマ 月を買った御婦人、
ジョー・ヒル/怪奇疾走、
「ヘッド博士の世界塔』発売30年/FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER、
そして、再発されたモノ・フォンタナ/クリバスを入手。
youtu.be/jurkzhABH9o

阿久津隆『本を読める場所を求めて』
本を読む場所としての自宅、ブックカフェ、図書館などに対する切実な、サード・プレイスという概念に対する懐疑的な、述懐はユーモラス/実践的で、ただただ本を(快適に)読める場所を求める姿勢は感動的。結果作られた場所「fizukue」に行ってみたくなる。

ー「文喫」は「本と出会う」ことこそが主眼であり、ウェブサイトを見ると「選ぶ」や「吟味する」という言葉が用いられ、「読む」ことは周到に回避されている。(中略)出版業界の人は、「最適化された環境で本を読みたい」というニーズを持たないのだろうか。

平出隆「葉書でドナルド・エヴァンズに』
アメリカ、日本、そしてオランダと移動しつつ、3年にわたって書かれたエヴァンズ宛の葉書たち。いつしかそれは、画家の人生を辿りつつ、どこか著者の人生ともシンクロしていくように思えてくる。友人の死、延期された出発、そして旅の終わりと新たな旅の始まりへと。

ーシンゲル運河のほとりに「世界の果ての書店」という看板を見つけて近づくと、その地下は「世界の果ての音楽店」だった、アムステルダムには、世界のさまざまな「果て」が集まっていそれがよく似合う。ドナルド・エヴァンズの作品に、世界のさまざまな「果て」が集まっていて、それがよく似合うように。

『いとみち』
屈託を抱えた主人公の学校/家庭における日常を丁寧に描く前半が、その後のメイドカフェや友人で人と出会い社会を広げていく(特に表情の)変化を際立たせている。そして、その契機となる海で過ごす休日(特に夜の場面)や狭い部屋で友人と(カメラも)三味線でふざけながらぐるぐると回る場面が素晴らしい。

東雅夫編/百鬼園百物語
小説、随筆、日記からの集めた百の「怪異小品」。通して読んでも違和感がない配列の妙。
百閒の作品は、あえて怖い/恐ろしい方に自らの想像力/文章で加速度的に追い詰めていく(振り返ることの怖さ)。そして、何気ない風景から、不意に音が消え静まり返える、そんな怖さ。

ー知らない横町には神秘がある。道を行ってふと通ったことのない横丁を見た時は其横町なにか神秘かあるような気がする。電車の窓から瞬く間に過ぎ去る知らない横町を見た折、ある時私は其横町に雨上がりの傘をさしている女を水に浮かんでいるものの様に思った。その女は人間ではない様に思える。

タヴァレス『エルサレム』
章ごとに複数の登場人物について断片的に語られ、次第にそれぞれの関係が、過去の経緯が、そして、すべてが5月29日に向けて収斂していく。そらが明らかになっていく手並みは鮮やかでスリリング。また、全編に偏在する暴力、苦痛、理不尽さが、不穏で不安定な気持ちにされる文章も。

ー狂人と思われないために自分の思考をどこに導くべきなのか?これはドクター・ゴンペルが問いかけ、今、テオドール・ブスベックが省察しようとしている問題である。この問いかけは精神疾患の治療にとどまらない、すべての人間の基本的なモラルに関する問題を投げかけている。

週末に、
ウッドハウスの新シリーズ(スミス物も入ることを期待しつつ)ボドキン家の強運、
装幀の美しい西崎憲編/夕暮れの草の冠、
雨が上がったので、古本屋へも足を伸ばし、
クラトフヴィル/約束、
黒田夏子/anさんご・感受性のおどり、
そして、ミゲル・ヒロシ/オニリコ・オノリコを入手
youtu.be/mRhTwZEoe3o

カサーレス『英雄たちの夢』
結末において認識を、感情を一変させるような仕掛け/カタルシスが、他の著作同様に用意されている。青春小説の体を取っていること、時間的なもの(3年前のもう一度生き直す)をはらんでいるからか、その仕掛けが宿命的、非回避的な影をおび、驚きよりもひどく切ない読後感が。

ー競馬で手に入れた大金は一九二七年のカーニバルのときと同じように散財しなければならない、あのときのように博士や仲間たちと夜の街を歩き、あのときと同じ場所を訪れ(中略)明け方の森をさまよい歩くのだ。そうすれば、あのとき目にした幻の、失われてしまった幻を見定め取り戻すことができるだろう。

ドン・デリーロ『沈黙』
原因不明の停電/スマホ等の機能不全により、浮き彫りになる人々のディスコミュニケーション。その事象とそれによって引き起こされる事柄とブットボールの試合が見れないという軽重の対比、もしくは日常性へとこだわりなと(いかにもデリーロらしい)モチーフが鏤められた小品。

ー彼は言う。「これからは、今後はですね。人々は自分たちがまだ生きていると、自身に言い聞かせ続けねばなりません」ジム・クリップスは自らの呼吸に耳をすませる。それから彼は額の包帯に触れる。単にそれがそこにあることを確かめ、はっきりさせているのだ。残りのうち二人はほとんど目覚めていない。

この週末は、
ウルフ/波、グリッサン/第四世紀、高崎俊夫編集による芦川いずみ 愁をふくんて、ほのかに甘く、荒川晴彦他/映画評論家への逆襲、
そして、スティーリー・ダン/Ajaを入手。このアルバム、リマスターなどのたびに手に入れているが、SA-CDのシングルレイヤーのものを見つけたので。
なかでも、この曲が一番好き。
youtu.be/6otDlpN1Cwg

山中瑶子/おやすみ、また向こう岸で
サンクスシアター、滑り込みで視聴。
三人(三浦透子、古川琴音、中尾暢樹)の会話で進む物語。立ち位置、背景の色調を巧みに変えながらの会話は、次第に二人が横並びになることで醸し出される不穏さと、その果ての切れ味ある展開から断ち切るようなラストに感心。
君島大空による音楽も。
youtu.be/w_NnVR4rZEE

朱天分『侯孝賢と私の台湾ニューシネマ』
「風櫃の少年」以来、脚本を手がける著者の台湾の、侯孝賢の映画をめぐるクロニクルな文章を集めたもの。どれも興味深いが、キアロスタミ、ヴェンダースを含む六人のオムニバスというのが当初の企画だったという「珈琲時光」を巡る対談が面白い。まもなくクランクインするという新作「舒蘭河上」が楽しみ。

ーカメラ機材を先にばらしておいて、スタッフがそれを分担して、隠し持つ。車両に乗り込んだら即カメラの脚を組み立て即カメラを設置した。(中略)そのうち本来の乗客が減りわ僕らが仕込んだ人たちだけになった。それから撮りたい映像を撮った。ただ運転士には注意を払ったよを彼の背後は透明ガラスだから

劉 慈欣『三体Ⅲ 死神永世』
繰り返される人類の危機。それは、常に前回を上回る困難さを持って生起する。そこでは、かつて語られた逸話の一部が使われるという巧妙/意外さ。そして、その結果、読み手は、思いもかけない方向へと運ばれていく。驚きと高揚。また、主要な人物の退場の仕方も心に残る。

ー本来、これは歴史と呼ぶべきかもしれないが、頼りになるのが自分の記憶だけとあっては、歴史と呼ぶに足る正確性は望むべくもない。過去と呼ぶことさえ正しくない。というのも、以下に語る出来事は、過去に起きたことではなく、いま現在起きていることでも、未来に起きることでもないからだ。

何度目かの緊急事態制限解除の対応に大わらわだった週末に、
クレメンス・J・ゼッツ/インディゴ、アドルフォ・ビオイ・カーサレス/英雄たちのの夢、Editership6/追悼 長谷川郁夫、そして伊藤ゴロー アンサンブル/アモローゾフィアを入手。
youtu.be/rw8jecOujPs

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