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bookwor.msは穏やかで、それでいて刺激に満ちた会話がいつもあちこちにあって、本当にいいですねえ(何回も言う)

持っていたら、もう読めるんですよ。古本屋駆けずり回っても無くて絶望するとか図書館の返却期限ごとに返しに行く苛立ちとかが一切なく、アクセス性は極大なんですよ。買った段階で9割読んだも同然!と私が時たま言うのは、持っていない状態との比較の上なんです。

持っていない本は買うし、かつてどこかで読んだ本も手元にあったほうがいいし、何冊も手元においておきたい本があるというのも場合によってはアリ(積読としてはカウントすらされない)なんですよ。読むかどうかはまったく別。手元にあるという状態がいかに強く尊いことか、真剣に考えた方がいい。

前に鳥の方で書いたような気がするけれど、石原吉郎の名を初めて知ったのは、『人間へのまなざし』という本の中で、『望郷と海』の一節が引用されていたのがきっかけだった。強烈な印象を受けて早速引用元の本を読んだが、自分の記憶に深く刻み込まれることになったのは、石原自身の文章もさることながら、それが引用として組み込まれた先の文章(「死と少女」「極限の孤独」と題された章だった)自体もまた、その時の自分には受け止めきれない重みのあるものだったためだ。だから自分の中ではその二冊の本はいつも対になって思い起こされるものになっている。

感染者が増えるほどに差別の問題が深刻化するだろう……

貧しい国は、きっと後回しにされるだろう……

ローマ教皇はたしか3、4ヵ月(?)ぐらい前から、ワクチン供給の公平性を訴えていたと思う。

FMのニュースで、政府が外国の製薬会社とワクチン開発に成功した際に供給を受ける契約を締結したと報じていた。まず思ったのは、真っ先に必要とする人(医療関係者、高齢者、基礎疾患のある人)に優先して欲しいなということと、あと自分はずっとずっと後回しでいいよということも思ったよ。

アウトドア用装備(初心者向け軽装)を調達した。

役に立たない思弁 

創造論を認めるならば、およそあらゆる存在者は存在の原因性という点で神との関係性があることになる。では物体的な存在ではなく、意識、精神の次元ではそれは何を意味するのか。古典的な形而上学では、精神的な存在の仕方つまり知性は、物体的な存在よりもより高次のより純粋な存在ということになる。知性すなわち意識/精神は、質料的な物体と異なり制限がなくある意味で「全て」であり得る(アリストテレス)。また知性すなわち意識は自己意識であり、自らが自らを持つ自己所有という在り方すなわち内面性を根本特徴とする。そのような存在様態の存在者である人間の知性(自己意識)が、あらゆる存在者の存在の原因であると同時にそれ自身が純粋な存在そのものである神と、存在論的な次元で関係性を持つのであれば、それは換言すれば、知性/精神/自己意識の内面性において神との内的な関係性を持つことになるのではないか。これが13〜14世紀のスコラ学と特にドミニコ会系の知性論的神秘思想で議論されていたことだった。

(大盤振る舞いしてやったぞ〔当社比〕どうだ参ったか>懐)

早朝覚醒しちゃうのって、プールに潜ろうとしても体が浮いてきちゃう感じ。覚醒しそうになって、あ、頑張って体を沈めなきゃと思いつつ、頑張ろうと意識すると余計に目が覚めちゃうという矛盾(加齢のかなしみ)
入眠は寝落ちするのが得意(でも睡眠の質が悪い)

(厚揚げを焼いたのに薬味をのっけて食べる)

調理する気力がずっと枯渇したままなので、みなさまの素敵なキッチンや食卓の光景を拝見することで替えさせていただくことにしました(諦念)

「官」はなんともならんなあというのがいつもどおりの感想。

今日はしんどいのを我慢したので自分を甘やかそうか(いつもそうでは?)

大盤振る舞いでいってしまうかなあ(また?)

「イソジン吉村」って蔑称としてサイコーと思っていたのですが、これは下手をすると尊称になりかねないのだろうか。

精神衛生のために一次情報のニュースにはあまり触れない方がいいのかもしれない。 :twitter: やマストドン見てれば大体のことはわかりそうだ。

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