桜井英治『贈与の歴史学』読み始めた。「はじめに」が非常に分かりやすく、こういうのを読むとテンションが上がる……。

この前読んだ馬部隆弘『椿井文書――日本最大級の偽文書』もそうだが、最近の中公新書から出ている日本史関連の本は、「現代(日本社会)に繋がる歴史的な問題」を取り上げる意識みたいなのが非常に高い気がする。

歴史学がただ歴史を調べるだけでなく、今日的な問題にコミットする時代がまた来たのかあ、と感慨深いような、そう思いたいだけの私がいるような。

新書というレーベル単位でも良いし、学者一人ひとりの一般書を書く際の毛色でも良いのだけれど、現代と歴史をどの程度接続させるかについて、様々なスタンスが共存できると良いよねと思う。

「〜としても読める」であって、「〜という物語なのだ(本当は)!」ではないよね。
「〜としても読める」であっても相当警戒するんだけど、みんなすぐに後者に飛びつく。

鳥で140字SSのタグがあるように、マストドンでも500字SSのタグが賑わっているのだろうとワクワクして覗きに行ったらわりと存在が希薄だった。500字小説を書いている人はおらんのか。どんなタグで集っているのか。

ズッキーニのカルパッチョ(レモン汁・オリーブオイル・粉チーズで輪切りにした生のズッキーニをあえる)が美味しいと​:twitter:​で知ったのだけれど、粉チーズを常備していない我が家。

えーいテキトーにそれっぽいもの作っちゃる!と思い、カレー粉とレモン汁(ポッカレモン)と塩でモミモミしたら、また違う美味しい酢の物が完成した。
粉チーズの味があんまり得意ではないので、偶然上手くいったレシピだけど記念にここに残しておきます。

持っていたら、もう読めるんですよ。古本屋駆けずり回っても無くて絶望するとか図書館の返却期限ごとに返しに行く苛立ちとかが一切なく、アクセス性は極大なんですよ。買った段階で9割読んだも同然!と私が時たま言うのは、持っていない状態との比較の上なんです。

持っていない本は買うし、かつてどこかで読んだ本も手元にあったほうがいいし、何冊も手元においておきたい本があるというのも場合によってはアリ(積読としてはカウントすらされない)なんですよ。読むかどうかはまったく別。手元にあるという状態がいかに強く尊いことか、真剣に考えた方がいい。

思ったより怖い本だったなあ、という印象。今日的な本でもあった。人に配りたい感じ。

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原民喜を読み返すと、キラキラとずーんの間で渦に巻かれて揉みくちゃにされる。

Uber eats使ったことないけどやっぱりダメだと思った

anond.hatelabo.jp/202008051734

開いた口がふさがらない😍

現代人は結局、全員多かれ少なかれ「昭和の男」なのだと思う。私は着物一枚縫えないし、靴下の穴もかがれない。雨の日、家にお客さんが来ても靴に新聞紙を詰めてあげる事もできない。魚は三枚におろせないし、包丁の研ぎ方も知らない。

時代が変わったから…というのはある。でも結局、昔の種々の「女の仕事」が、廉価で、格下であるという見識を私達は全く改めていないじゃないかと思う。私が着ている服を縫ったのは中国とか、ベトナムとか、タイとかの工場労働者で、彼らはやっぱり多かれ少なかれ林芙美子みたいな貧困に苦しんでいる。何故私は服を縫えないのに、見知らぬ貧しい誰かに服を縫わせているんだろう。

明治・大正・昭和に生きた女性達の内幾人かは、自分で服を縫って自分でご飯を作って、自分で社会についてものを考え、自分の言葉でものを書いた。
ああ特別な人達だ、と思う。そういう特別さを私は失ってしまって、単なる、つまらない、自分一人で少しも生活出来ない、男になってしまった。「女」を今日も、遠い国の誰かに外注して生きている。

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心が男や家族から自立する為にも生活の苦みを直視せざるを得ず、それゆえに生活の骨の部分をしかと掴んで離さない。家計のこと、家事のこと、仕事のこと、何処へ行き、誰と話し、何を作って食べ、どう住処を用意して整えたか。どのように己を取り巻く男にぶち当たっていったか。それら毎日の生活について克明に、何かを掴んで離さない。

それでいて、彼女達は既に文学に手を伸ばしている。彼女達にとって文学は心の自立を支えてくれる存在であり、生活の苦みから一時退却出来る場所でもある。彼女達は市民でもある。社会について何かしらの考えがある。

そんな男の物書きがいるだろうか。男は確かに文学に対して主体的なことがある。社会に対して主体的なこともある。では生活については?
母の手によって為された事、妻の手によって、あるいは娘の手によって為された自らの生活について、自覚的に書く同時代の男性作家はいるか?現代の作家は?

日々の献立や着物の仕立て方について云々しながら文学と社会について思い巡らす女は居たが、そのような男はいたか?/いるか?

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『椿井文書——日本最大級の偽文書』、途中で彼氏に貸してしまったので、先に‪林芙美子『放浪記』読んでる(どんな取り合わせ笑)
熱量が物凄い。明治・大正・昭和を生きた女性達が、もがきながら毎日の生活を重ねていく作品が妙に好きなのは何故なのだろう。幸田文、石垣りん、向田邦子、そして林芙美子……。その変奏曲として萩原葉子。‬

男には書けず‪女のみが書けるものとして生活、毎日の苦闘を見出し、男社会に叩きつけた彼女達だったけれど、家の生活を日々「経営」している手応えみたいなものを喪失している現代人の私は、彼女達の苦楽が寧ろ「何かの手応え」に見えて羨ましいのかもしれない。そういう鑑賞は良くないと分かっているが……。‬

石垣りんが「お芋や、肉を料理するように/深い思いをこめて/政治や経済や文学も勉強しよう、/
それはおごりや栄達のためでなく、全部が/
人間のために供せられるように/全部が愛情の対象あって励むように。」と書いているが、生活の苦楽を知り尽くし、それでいてしかも政治や経済や文学にも手を伸ばし得た(伸ばさずにはいられなかった)彼女達が、二つの世界を行き来できる人に見えて、羨ましい。

馬場隆弘『椿井文書 ——日本最大級の偽文書』読み始めた。これの中国学バージョンも読みたいとか思ってしまうやつ。エキサイティングです。

李商隠は訳すの難しいだろうなあ。

カルヴィーノ読みたい!と思った場合に、『なぜ古典を読むのか』から入るの邪道では?と思いましたが、須賀敦子訳だったのでほいほいされてしまいましたとさ。

人と話すの苦手。人と話すって難しいよねっていう前提に立っていたいですね。

「峠からみれば豪雨は天と地をつなぐかなしい柱 都よ」
「だって世界が何を呉れたというのだろう銃身の黒、秋の日を吸い」
「すすきほを秋のしっぽと思うとき何万という秋ひるがえる」

「金吾大納言」が凄く好きです。

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ようやく千種創一『千夜曳獏』を読んでいる。優しくて、ちょっと情けなくて、ぐさっと刺さる歌の多いこと…。

千種創一さんの歌集を読んでいると、不思議と歌の語り手(って、歌の場合何て言うのだろう。詠み手?)は金田一耕助みたいな人なのかなって想像してしまう。優しくて、ちょっと情けなくて、ふわふわして、当てどなく様々なところを旅している男の人。

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