人物造形はもちろん相当に違うし、複数人の妻がいて云々的な部分は、少なくとも主要キャラクター自身のこととして描かれはしないので、そういう違いは随分とあるけれど。
『源氏物語』の〈紫の上と源氏の物語〉の部分にとても良く似ていると思ったんだよね。
「宇宙」の方が、ずっと古い用例に遡れますね。もともとは家屋の軒と梁の意味、転じて(なのかなあ?)天地とか世界を指すようになった。『淮南子』にどちらの用例もあり、どちらにも高誘が注をつけて語義を解説しているのが面白いな。
『淮南子』覧冥訓「而燕雀佼之,以爲不能與之爭於宇宙之間。」
高誘注「宇,屋簷也;宙,棟梁也。」
『淮南子』原道訓「横四維而含陰陽,紘宇宙而章三光。」
高誘注「四方上下曰宇,古往今來曰宙,以喩天地。」
「宇宙」が空間と時間を指す、という説明はもしかしてこの高誘注から出発しているのかな?
あとは、因果関係によって物語が語られることへの懐疑と不満にも非常に共感した。ただ、そこで円環的なモデルを提示して満足するのは、20世紀ヨーロッパ人のある種のオリエンタリズム的満足なのではないか、と正直どうしても思ってしまう。
全ての人の対蹠地に立ちたがる。内語浸りの腐れた人文ヲタクですが、他者の他者性を求めています。ジャーゴン。
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