https://mstdn.jp/@Nostalfire/104031898003308898
という自己紹介を向こうで書きましたがこちらにはもう少し現代寄りの自己紹介を置いておきます。
王朝和歌、蕪村、李白に理想を置いて歌を詠んでいます。辻邦生の『西行花伝』と『嵯峨野明月記』がそのまま私の歌論を築いています。どうも独文学と相性がいいようで、ハイネ、ヘッセ、ツェランの詩が好きです。英文学ではブレイクに肩入れしています。
もともとは梨木香歩、上橋菜穂子、乾石智子といったファンタジーや飛浩隆、水見稜、神林長平といったSFを読んでいましたが最近は小説を読む集中力が持続せず、怠惰のうちに月日を重ねている次第です。
どうぞよしなに。
堀江敏幸、吉田健一、石川淳、古井由吉などを読もうとしていますが読もうとしているのみに留まっています。
山の向こうに見える流れ星、その左手で美味しいお酒が飲める、そんな日が全ての方にいつか訪れることを願っています。
孤独とは無縁だったと知るだろう左手首に瑠璃を纏えば
https://www.instagram.com/p/CAH96gDj5sJ/?igshid=1qubbkm1rj2rm
気温がめっきり初夏のそれになり、この曲の季節になってしまったという印象。
https://music.apple.com/jp/album/sketch-for-summer/1318514484?i=1318514485
久しぶりに中島敦『李陵』を読んだ。
以前読んだ時は汗臭いというか、ホモソーシャルな小説だなあと思ったのだけど(事実まあそうなのだけど)、再読したら李陵と司馬遷という人物の持つ暗さに目が行った。
「天道是か非か」という疑問を心から拭えない人物として二人は描かれており、一方蘇武は天に報われる人物として描かれている。しかし一方で蘇武という人物は伯夷叔斉や、顔回の様な「余りにお人好しな善人」でもあるだろう。その合致と齟齬……みたいなものが、李陵の心を掻き乱す根っこのところの様に思った。
純粋にして善良な性質をどこまでもまっすぐに伸ばしていける奇跡的な人間を、仄暗く憧れ続ける男なのだな、李陵は……。そして司馬遷も。だが司馬遷にはその仄暗い憧れを昇華する手段があり、李陵には無かった。李陵の鬱屈は二重の鬱屈で、それは「鬱屈を外化出来ない」鬱屈でもあったかもしれない。
……何か、こうしてアウトプットするとBLみがあるな……。
中島敦の書く「暗さ」が私は凄く好きなのだなと再実感した読書だった。『牛人』や『盈虚』が好きなので……。
暗い気分の時は暗いものを読むと、安心出来ますね。
歌論と詠歌、稀に読書。王朝和歌と現代短歌。煎茶と日本酒。◇HSS-HSP/INFP/4w5-sx△145